人気ブログランキング | 話題のタグを見る

帰国

帰国_e0040591_229196.jpg


4月25日、デリーから帰国することになりました。

今はインド北西部、ラジャスターン州にいます。インドは暑期に入り、砂漠に囲まれたラジャスターンの日中の気温は40度。外を歩くと、焼けるというより皮膚が焦げて煙が出そうです。

街中はゴミと人と車だらけ。名所の白いお城は落書きだらけ。駅のホームを疾走するバイク。5時間遅れの列車。牛牛牛、犬犬犬、山羊、猫、猿、牛牛牛。中華料理はマサラ味。暑さにも黙殺にも負けず、3分おきに声を掛けてくるリクシャワーラー。虚偽、詐欺、演技の商店店主。ナンパ、冷やかし、チンチョン。流れないトイレ、詰まる排水溝、周らない扇風機、挙句の果ての停電。 ああ、インドだなあ、愛しいなあ、と思いながら旅をしています。

写真はネパール。2月末から3月にかけ、ソルクーンブ地方を16日間トレッキングしたときのもの。標高5550mのカラパタールから見たエベレスト(真ん中の黒い山)です。エベレストというのは18世紀についた名前なんですね。イギリス領インドが、ヒマラヤの山々を調査した際、エベレストにはK15という名前がつけられ、その後、この山が世界一高いと分かり、その時の総督(イギリス人)の名前を付けてエベレストと呼ばれるようになったそうで。古くから、チベット側はチョモランマ、ネパール側はサガルマータと呼んでいます。

先日、ネパールで交換してもらった本、さだまさしの書いた「解夏」という小説を読みました。旅が終わる寂しさも、日本に戻るに当たっての漠然とした不安も、帰国と同時に終わるんだなあと思いました。4月25日がわたしにとっての”解夏”です。
それでは、近々、日本で。

# by tomokoy77 | 2007-04-10 22:06 | Nepal  

帰る日

すっかりブログが停滞している。

ダージリンの後、バラナシでシヴァの誕生日であるシヴァラートリーというお祭りを迎え、
それからネパールの首都カトマンズに来た。
カトマンズからは、エベレストを臨むことのできるソルクンブー地方へ、
16日間のトレッキングに行っていた。

11年ぶりのバラナシは楽しかった。犬がたくさんいる街で、顔なじみの犬友達もできた。
犬は最高だ。犬はなんにも言わない。
トレッキングは幸せだった。毎日毎日、山を眺めてひたすら歩く。余分なものが落ちて行く。
山は最高だ。山はなんにも言わない。


桜が咲く頃には帰りますと、数ヶ月前宣言してしまったら、
暖冬のためか、今年の桜は早いらしい。
3/23が東京の開花予想日だよと、友達がメールで知らせてくれた。
2年前の4月15日に日本を出たときは、出国のわずか1週間前が見ごろだったのに。

今日は、もう22日。予想の通りなら、明日の東京は桜が満開か。
帰国の日を一日延ばしにしていたら、間に合わなくなってしまった。
日本の桜の季節は、どの国のどんな季節より美しいと思う。


旅を始めることを決めるより、旅を終えることを決めるのはずっと難しい。

# by tomokoy77 | 2007-03-22 19:12 | Nepal  

ババ

ババ_e0040591_0331963.jpgババ_e0040591_0342961.jpg

2月16日はシヴァラートリー。ヒンズー教の主神のひとり、シヴァ神の誕生日。聖地バラナシには、この日を祝うためたくさんのババ(行者)が集まっている。
今年はバラナシからそう遠くない町で、クンブメーラという12年に一度の祭りが開かれていた。その祭りに参加していたババが、今はバラナシに集結している。

ババ_e0040591_0364338.jpgババ_e0040591_0373653.jpg

普段はヒマラヤの奥地にこもって修行しているババも、この日のために山から下りてきていた。裸の体に灰だけ塗って、ガンジス河沿いにテントを立てて、祈り、梵をして、訪れる巡礼者を祝福しながらシヴァの誕生日を待つババがたくさんいる。

ババ_e0040591_2161482.jpgババ_e0040591_2163749.jpg

ババ達のテントを覗き込むと、手招きして迎えてくれ、静かにチャイを勧めてくれる。英語の話せるババはほとんどおらず、身振り手振りと片言のヒンドゥー語で話をする。
「どこからきたの?」とババに聞くと、「ハリドワールの奥から」という。ハリドワールは、ガンジスの源流に近い聖地だ。その奥にはヒマラヤ山脈が連なる。ババはそこで修行しているようだ。同じ人間なのに、ババとわたしは随分違う生活を送っている。

ババ_e0040591_2144256.jpgババ_e0040591_2154946.jpg

「修行して、何を見つけたいの?」「ババの家族はどうしたの?」
聞きたいことはたくさんあったけれど、言葉が通じない。ババは静かに、火鉢をかき混ぜる。わたしは黙ってチャイを飲む。視線が合うと、ババは目の端で笑う。

バラナシは明日、何万回目かシヴァの誕生日を迎える。

# by tomokoy77 | 2007-02-16 20:54 | India  

ブータン

ブータン_e0040591_2193113.jpgブータン_e0040591_21131476.jpg
ダージリンから南東に行ったところに、ジャイガオンという町がある。ブータンと国境を接した小さな、しかし猛烈にゴミゴミした町だ。
写真左は、イミグレーション。門の向こうはブータン側の町プンツォリンだ。両国の国境はこの門と、写真右のような幅1mほどの側溝で隔たれている。

ブータン_e0040591_2114452.jpgブータン_e0040591_2111930.jpg
ブータンは半鎖国状態を続けている国で、ビザがあっても自由旅行はできず、一般の外国人観光客には一日200ドル以上の強制使用が義務付けられている。
しかし、ここプンツォリンだけは、ビザも200ドルも必要なく、お金はないけどブータンを垣間見たい外国人にとってありがたい国境であるはずだった。

ブータン_e0040591_2195370.jpgブータン_e0040591_2112228.jpg
イミグレーションの門を抜けて、ブータンに入国。パスポートチェックも何も無い。が、しばらくして振り返ると、一緒に門をくぐった人たちの姿が見えない(あとで分かったが、イミグレの係官に止められていた)。
そう。この国境が外国人に対して開放されていたのは2年前までの話。現在、外国人はブータンビザを取得し、ツアーに参加しなければ入国できないそうだ。

ブータン_e0040591_21102978.jpgブータン_e0040591_21123471.jpg
でも、入国できちゃったよ・・・。
ブータン人は日本人に似ている。民族衣装は日本の着物にそっくりだし、洋服を着ている若い子の中には、日本人と見間違えそうな子もたくさんいる。係官はわたしをブータン人だと思ったんだろうな。
プンツォリンにはインド人も多く、隣のジャイガオンと違うところといえば、建物の造り、仏教寺院があること、そして何よりも路上にゴミが落ちていないということくらい。でも、まあ、なにはともあれここはブータンなのだ。
プンツォリンは30分もあれば一周できてしまう小さな町だった。ゴミの無い快適な道を歩き、寺に参拝し、ブータンの空気を思いっきり吸って、ゴミと人が溢れかえるインドに戻った。

# by tomokoy77 | 2007-02-11 21:14 | India  

西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間

西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_23595159.jpg西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_23574554.jpg

コルカタから列車に乗って北に向かう。途中の駅で、世界遺産に登録されているトイトレインという、その名の通りおもちゃのように小さな登山列車に乗り換えて、最初に目指したのはダージリン。紅茶の産地で有名な街だ。

西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_024440.jpg西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_23561043.jpg

目的は、第一に山を見ること。ダージリンのずっと北、チベットとの国境あたりに、カンチェンジュンガという世界で3番目に高い山がある。
しかし、連日の曇り。のみならず、霧に雨。日照時間はゼロに等しく、洗濯物は3日干しても乾かない。なにより、寒すぎる。山もほとんど見えず、寒さに震え、雨に降り込められ・・・。

西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_084735.jpg西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_171342.jpg

ダージリンの町外れに、ヒマラヤ登山学校という、登山家を育成するための学校がある。初代校長は、テンジン・ノルゲイ。エベレストに初登頂したシェルパだ。
学校併設の博物館には、ノルゲイがエベレスト登頂時に使用した装備が飾られていた。こんな装備で登ったのか!?驚くほど粗末なものばかり。
博物館の一角には、田部井淳子さんのサイン入りパネルがあった。エベレスト女性初の登頂者だ。他にも歴代の登山家たち。大半が山で命を落としている。

西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_03757.jpg西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_09357.jpg
ダージリンを後にして、さらに北へ、シッキム州のぺリンへ向かった。40軒のホテルと、数軒の雑貨屋から成る、山を見るためだけに存在するような村。
そこに4泊した。結局、一度も山を見ることができなかった。連日濃い霧が出て、ただ寒さに震えるばかり。それでも、シーズンオフの村は静かでのんびりしたいいところだった。ここまで来ると、いわゆるインド人の姿はかなり少なくなり、代わりにネパール人やチベット人の姿が目立つ。チベット人の容姿は日本人にとても似ているから、時々日本の田舎に来たような錯覚を覚えることがある。

西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_065366.jpg西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_1714432.jpg
インドといえばとにかくカレーばかり食べているイメージがあって、それはあながち間違ってもいないのだが、このあたりではチベット料理もよく目にする。トゥクパといううどんに似たものや、モモという蒸し餃子はどこでも食べられる。香辛料に疲れた胃にはありがたい。
ぺリンを後にして、シッキム州の州都ガントクヘ向かった。そして、10日ぶりに、雲の隙間からわずかにのぞく青空を見た。夜には星も出た。明日はきっと晴れると信じて、朝6時、寒さに耐えて、ホテルの屋上へ出た。

西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_074999.jpg西ベンガル州北部及びシッキム州の10日間_e0040591_082759.jpg
さえぎるものの何もない北の空に、カンチェンジュンガが、朝日を受けて赤く染まりはじめていた。願って願ってようやく目にしたその姿は、本当に神々しかった。
(ところで、豊川のおばちゃんはブログを見ているだろうか?おばちゃーん、シッキムは蘭で有名らしいね。日本にはもって帰れないけど、きれいな蘭がたくさんあったよ。花祭りもあるみたい。いつかおじちゃんと来てはどうですか?)

# by tomokoy77 | 2007-02-10 23:54 | India