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死海

e0040591_4443690.jpgアンマンから日帰りで死海へ行った。

写真はアンマン市内にある
巨大なヨルダン国旗。

周りの家と比べても、でかすぎる。


e0040591_44555100.jpgついに、水着姿公開。

死海のほとりのアンマンビーチにて。
わずか40km先の対岸には、
イスラエルが見える。


e0040591_4471516.jpg・・・浮いた!
ぷかぷか浮かびながら、本を読む。

しかし、傷口に塩水が沁みて、
痛いのなんのって。


e0040591_4481578.jpgなにはさておき、泥パック!
全身に塗りまくって、乾かす。
傷に沁みるよー(泣。

乾いたら、こんなに皮膚がしわしわになった!
洗い流した後は、温泉後のようにツルツル。


死海へはバスを乗り継いで行った。バスの終点からアンマンビーチまでは、ヨルダン人のおじちゃんが無料で乗せて行ってくれた。更には、迎えにまで来てくれた。そしておじちゃんの家におじゃました。3男1女の大家族とともに、パスタをご馳走になった。みんなよく笑う、いい子たちばかりだった。

結局、ヨルダン滞在は5日間。ヨルダンについて、女ひとり旅の旅行者から仕入れていた前評判といえば、「痴漢とか、痴漢とか、痴漢とか・・・。」
でも、わたしは一度も痴漢に遭うことはなかった。それどころか毎日誰かにご飯をご馳走になった。みんな、とても親切だった。

イラクとイスラエルに挟まれている立地上、ヨルダンといえば戦争や危険なイメージを持つ人も多いかもしれない。けれど、5日間という短い期間とはいえ、わたしがヨルダンで見たものは、遺跡嫌いのわたしが感動してしまうようなぺトラや、世界に二つとない死海や、旅人を暖かくもてなしてくれる人たちだった。これはただ単に運が良かっただけのことだろうか?

土地柄から、イスラエルに行って戻ってきた旅行者に会ったりして、興味深い話、知らなかった事実、いろんな話を聞いて考えさせられた。ヨルダンの後シリアに行く関係上、今回イスラエルへ行くことはできなかった。(イスラエルの入国スタンプがあると、シリアやレバノンの様に入国を拒否するイスラム諸国がいくつかある。)

3つの宗教が混在するエルサレムを見てみたかった。エルサレム郊外にある、シャガールの作ったステンドグラスも。それはまた、いつかの旅に。
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by tomokoy77 | 2006-12-03 04:40 | Jordan  

サーメルストーリー

中東を旅してきた旅行者が、口をそろえて言うことがある。「ヨルダンの見所は3つある。ぺトラ遺跡、死海、そしてクリフホテルのサーメルさん」

この日、ヨルダンの首都アンマンにあるクリフホテルに着いた。噂の従業員サーメルさんが、さっそくお昼ご飯に誘ってくれた。ホテルから10分ほど歩いたレストランで食べたのは、たくさんの野菜やレモンと一緒に煮込まれたチキン。とても美味しい!

でも、サーメルさんはあんまり食べない。後から知ったことだけど、おなかの調子を壊していたらしい。それなのに・・・。食後、いくら強く言っても、サーメルさんは決してお金を受け取ってくれなかった。その後も、ホテルに帰る度に暖かいコーヒーを入れて、お菓子とともにもてなしてくれた。

ホテルには、情報ノートと別に’サーメルブック”という2冊のノートがある。サーメルさんにお世話になった旅人達が、彼へ残した感謝の言葉が綴られている。彼の夢は、いつか自分のホテルを持つこと。その夢が、どうか叶うように。

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by tomokoy77 | 2006-12-02 04:37 | Jordan  

ぺトラ

マアーンからワディ・ムーサへ。早朝7時半、ワディ・ムーサに着く。荷物を置いて、すぐにぺトラ遺跡へ向かう。
ぺトラは「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台にもなった、ヨルダン随一の観光名所。ばら色・縞模様の岩山の中に、その岩を掘って造った寺や祭壇が点在する。入場料は現在、一日券21JD(3500円)!高い!でも、その価値は十分にあった。

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高さ100mの岩壁に囲まれた、シークと呼ばれる長い回廊を抜けると、エル・ハズネという教会が姿を現す。一日のうち、50種類の色に変化するというその教会は、その頃、朝日を浴びて、オレンジがかったばら色に輝いていた。

入り口から4kmほど先にあるエル・ディルを目指して、ひたすら歩く。途中、ベドウィンという、遺跡内とその周囲の村に住む民族をたくさん見かけた。

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エル・ディルから、更にその先の岩山の突端まで歩いていった。「VIEW・VIEW・VIEW」としつこいくらいに看板の立つ道の先に、小さなテント小屋があった。そこで、ベドウィンのおじさんにベドウィンティーをご馳走になった。山の向こうに、イスラエルが見えた。

「こうしてテントの外に寝っころがって、昼は日光浴、夜は星を眺めるんだ」
ベドウィンのおじさんは、猫のように幸せな顔をして、日向に仰向けになった。

帰り道でも、またベドウィンの若者にお茶をご馳走になった。彼は、ワディ・ムーサの街に住むパレスチナ人の悪口ばかり言っていた。

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そういえば、朝ワディムーサの宿を出るとき、宿のパレスチナ人が言っていた。
「ぺトラにはたくさんのベドウィンがいるけど、あいつらと口をきいちゃいけない。
奴らは最低なんだ。たくさんのツーリストが、トラブルに巻き込まれている。」と。

ベドウィンとパレスチナ人は、どうやら相当仲が悪いらしい。わたしにとっては、どちらも親切な人たちなんだけど。

ここは中東なんだなあと、悲しいかな、このふたつの民族がいがみ合う姿を目にして、
しみじみ実感することになった。イスラエルとイラクに挟まれたヨルダンに、現在表立った抗争は無いけれど、長年の宗教戦争と土地の利権争いを経た民族対立感情の根は深い。

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夕焼けに染まるぺトラの岩山を見て、ワディ・ムーサの宿へ戻った。と、フランス在住で一時的にヨルダンに帰国してホテルを手伝っていると言うパレスチナ人の男性が「ご飯の時間だよ」と言った。

宿に着いたとき、ホテルのビュッフェディナーは3JDと説明されて、「高いから要らない」と断っていたわたしの姿を見ていた彼が、私の分を自分で支払い、予約してしまったらしい。辞退しようとするわたしに彼は、「まあまあ、もう予約しちゃったんだからさ」と言って、笑顔でダイニングに案内してくれた。

そんなに優しくしてくれた彼も、ベドウィンは嫌いで、当然ながら、イスラエルのことを激しく憎んでいる。

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みんな自分の土地がほしい。みんな自分の国がほしい。
当然の気持ちだけれど、土地が足りないときはどうしたらいいんだろう?

こんな風になったのは、一体誰のせいだろう? 
イスラエル?それとも2枚舌外交で中東を混乱させたイギリス?

旅人に優しくしてくれるベドウィンが、パレスチナ人が、お互いに優しくし合ってくれればと願っても、それは難しいことだろうか。
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by tomokoy77 | 2006-12-01 01:25 | Jordan  

ヨルダン一日目、マアーンでのこと

エジプトはカイロからバスで9時間、ヌエヴァへ。
ヌエヴァから船に乗って3時間、ヨルダン南部の街アカバへ。

アカバ到着時、時刻は夜の7時。ワディ・ムーサという街へのバスを探したけれど見つからず、仕方なく手前の街マアーンまでバスに乗って移動することにした。

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マアーン到着は夜の10時。バスターミナルには、ワディ・ムーサ行きどころか、既に一台のバスも無かった。

困ったことに、手持ちのJD(ヨルダン・ディナール)が少ない。アカバからマアーンまでのバス運転手、アワッドさんに、「マアーンのホテルはいくらくらいする?」と聞くと、「5~7JD(900円~1200円)くらいかな」と言う。

・・・無理だ。

無言でバスを降りようとする私に、アワッドさんが声をかけてくれた。「ホテルへ行くのか?」「いや・・・。お金が無い。このままバス停で寝る。」と、私。
外に出る。吐く息が真っ白だ。寒い。しかし、どうしようもない。


と、アワッドさんがバスから降りてきた。

「おれは明日、客を乗せてアカバに戻る。バスはここに置いておくから、お前、バスの中でも寝られるか?」と言った。もちろん!路上で寝るよりずっとマシだ。

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アワッドさんは、バス後部の座席に毛布を敷いてくれ、それからひとりでふらりと外へ出て行った。10分後、彼の手にはシュワルマ(中東風サンドイッチ)とペプシ缶が2本握られていた。

「食え。」と言う。「いくらするの?お金を払うよ。」と私が言っても、「いいから、まあ食え」と言う。

朝から何も食べていなかった。にんにく入りクリームソースの効いたチキンのシュワルマは、とても美味しかった。飲めないペプシも(わたしは炭酸飲料が飲めない)、強く勧められるので飲んだ。


結局、アワッドさんは食事代を受け取ってくれなかった。3枚のぶあつい毛布を押し付けるようにして、彼は友人宅へ泊まりに行った。わたしが居なければ、バスで寝ていたはずだ。ドアを開けて外に出る彼の背中に、「I'm sorry...」と声を掛けた。


エンジンの切られたバスの中は、冷蔵庫の中みたいに寒かった。毛布の重みが息苦しくて、なかなか眠れなかった。

眠れない頭で考えた。どうしてさっき、「sorry」じゃなく「thank you」と言わなかったんだろう。あんまり親切にされると、つい申し訳ないような気持ちになってしまう。遠慮が美徳の日本人だから?でも、親切にしてもらっておいて謝るなんて、おかしなことだ。

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翌朝7時。アワッドさんの声で目を覚ました。
「ワディ・ムーサ行きのセルビス(乗り合いタクシー)を捕まえてきたよ。」

セルビスに乗って、彼に頭を下げた。「シュクラン(thank you)」と私が言うと、
アワッドさんは嬉しそうに笑ってバスへ戻っていった。
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by tomokoy77 | 2006-11-30 00:49 | Jordan