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旅時間

ザンジバルを出てダルエスサラームに戻る。

e0040591_21574056.jpg行きの船は2時間半だったのに、帰りの船はまる一晩かかる。同料金だし、経由地があるわけでもないから不思議だ。どうして?と船会社の人に聞いたけど、いまいち的を得ない答えが返ってくるだけ。

たぶんこののんびりした島から、わずか2時間半であの喧騒に満ちたダルエスサラームに帰ってしまうと辛いんだろう。体内の島時間をリセットし、街時間に戻すためにはひと晩くらい必要だ。

ふと、体に刻み込まれた旅時間を日本時間に戻すのに一体いく晩かかるだろうと考えた。
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by tomokoy77 | 2006-06-28 21:58 | Tanzania  

ジャンビアーニ

e0040591_2381872.jpgザンジバル島の東海岸にあるジャンビアーニという小さな村へ行った。

海は遠浅で、どこまでも透明だ。
干潮のこの時間、ビーチから泳げるほどの深さのある場所まで行くのに30分近くかかる。
道中はウニがごろごろしていて歩きにくい。
ウニ食べ放題!と思ったけれど、どうやらこのウニは食べられない種類のものらしい。残念至極。
かわりに村でおいしいロブスターのパスタを食べた。


e0040591_2355480.jpg白砂の海岸を散歩する。

村中に流れるポレポレの空気。
スワヒリ語圏のアフリカ人が、
なにかにつけて口にする言葉。
ポレポレ、のんびり行こか。

南東から吹き付ける風が強くなってきた。
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by tomokoy77 | 2006-06-27 13:08 | Tanzania  

ザンジバルの子ども

e0040591_22592869.jpg 「ちょっと、わたしの写真撮っていきなさいよ」

ザンジバルの子どもは大人びている。
と言っても、子どもが無理して大人の振りをするようなのとは違う。日本のそれとはだいぶ違う。

なんと言ったらいいのだろう。
子どもらしさの中に、大人の落ち着きがちらほら覗く。

カメラを構えると、ふんと鼻をひとつ鳴らして、
彼女は腕を組んだ。
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by tomokoy77 | 2006-06-26 18:59 | Tanzania  

猫とべスパ

e0040591_22594956.jpgザンジバルには猫が多い。

島に猫は付きものといえど、
アフリカでこんなにたくさんの猫を見るのは
初めてのこと。
どの猫も、ぽってり太っている。


e0040591_2312886.jpgザンジバルにはべスパが多い。

迷路のようなこの小さな街で、
車は大きすぎて不便だ。
原付で細い路地を走り回るのが
この街の動き方。
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by tomokoy77 | 2006-06-26 16:02 | Tanzania  

ザンジバル ストーンタウン

e0040591_2256041.jpgザンジバル島は不思議なところだ。
タンザニアにありながら、大陸側のタンザニアとは全く違った空気を持つ。

ザンジバルはかつて独立国家だった。
大戦後、大陸のタンガニーカとひとつになってタンザニアという国が生まれたものの、ザンジバルはザンジバルとして、半ば自治国のような意識を今も持ち続けている。


e0040591_2250199.jpgこの島のもうひとつの歴史。

その昔、この島はアラブ人の持ち物であり、アフリカ有数の奴隷市場だった。奴隷市場としてのザンジバルは大いに栄えたらしい。島には今も奴隷市場跡が残る。皮肉なことに、その市場跡の上には美しい教会が建っている。過去の歴史を懺悔するかのように。

大陸で捉えられた黒人は、この島で競りにかけられた。競りでは、奴隷商人が奴隷を鞭で打つことで、彼らの値段が決まった。泣いた者の値は下がり、耐えたものの値は上がったという。


e0040591_22513318.jpgそうして買われた奴隷たちは、インドやヨーロッパ、遠くアメリカ大陸へと運ばれていった。ダウ船に詰め込まれ、決して少なくない数の奴隷が、手足に鎖をつけられた劣悪な環境の中、航海の途中で命を落とした。

奴隷制度が廃止され英国領となった頃のザンジバルには、十数人の日本人女性が住んでいた。からゆきさんという蔑称で呼ばれる日本人娼婦だ。


e0040591_22532296.jpg遠く日本から売られてきた彼女たちはこの小さな島で英国人相手のバーを営み、店はなかなかの繁盛をみせ、土地の人にも愛されて暮らしていたらしい。
今も島にはそのバーと、彼女たちが住んでいた家が残っている。

彼女たちのお墓があるという話は聞かなかった。
再び日本に帰ることができたのか、それともこの島のどこかで眠っているのだろうか。

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by tomokoy77 | 2006-06-26 12:58 | Tanzania  

屋台シーフード三昧

e0040591_2243551.jpgザンジバル島の港近くにあるフォロダニ公園には、
日没ごろからオレンジ色の光がいくつも灯り始める。
シーフードの炭火焼を売る屋台の明かりだ。

串に刺された数々の魚や海老、
丸ごとのカニつめやロブスターを指差すと、
その場で網の上にのせ、焼いてくれる。
ここでは蛸も食べる。こりこりとした懐かしい食感。

どこからともなく太った猫が集まってくる。
海風に吹かれて、シーフードをつまむ。旨い。
思わず、飲めないビールが欲しくなった。
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by tomokoy77 | 2006-06-25 19:41 | Tanzania  

ザンジバルへ

e0040591_22425151.jpgダルエスサラームの沖合いにある
ザンジバル島へフェリーで向かう。
行きはわずか2時間半の船旅。

昔から交易のために使われていたダウ船
(帆船)が、今も地元の人の足として、
海上を悠々と進んでいた。

何世紀も前から、変わらない光景。
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by tomokoy77 | 2006-06-25 12:43 | Tanzania  

アジアの味

e0040591_22341979.jpgダルエスサラームにはインド人が多い。
街中いたるところで嗅ぎ付けるあの懐かしいスパイスの香りを追って、インド料理店に入った。

少々高級なこの店で、久しぶりにターリーを食べた。辛いものはとことん辛く、甘いものは舌が痺れるほどに甘い。間違いなくあの国の味。アフリカで出会った、アジアの味。
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by tomokoy77 | 2006-06-24 12:30 | Tanzania  

ダルエスサラーム

タンザニアの首都、ダルエスサラームに着いた。
 
”ダルエスサラーム”とはアラビア語で”平和な港”という意味らしい。
けれど、この街の辿ってきた歴史は決して平和なものではない。

e0040591_2326845.jpgインド洋に面した良港のダルエスサラームには、古くからアラブ人やインド人ヨーロッパ人が攻め寄せ、利権を争って戦った。
今も、街にはモスクやヒンドゥー寺院が多く建ち、市内中心部で見かけるアラブ人やインド人の数は黒人をしのぐほどだ。
ここには、他のアフリカ諸国とは一味違った、アフリカとアラブとアジアが交じり合ったような複雑な空気が流れている。
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by tomokoy77 | 2006-06-22 15:22 | Tanzania  

タンザン鉄道

e0040591_2331424.jpgタンザニア南部のムベヤから、
首都のダルエスサラームまで列車に乗った。
この路線はザンビアとタンザニアを結んでいるため、
タンザン鉄道と呼ばれている。
ダルエスサラームまでは26時間の旅。

午後2時。
ムベヤ駅のホームには大勢の人が詰め掛けていた。
体の半分くらいあるような風呂敷包みやスーツケースを頭に載せて、列車の到着を今か今かと待っている。


e0040591_2332123.jpg午後2時半。
列車はほぼ定刻どおりにムベヤ駅に入ってきた。
ザンビアからすでに丸一日以上の旅をして。

列車は時速40kmほどでゆっくり進む。
そして、時折小さな駅に止まる。

列車が止まると、どこからやって来たかと思うほどたくさんの人が、野菜や軽食を頭に載せて売りに来る。
真昼の空は、どこまでも青い。


e0040591_233437.jpg1等寝台は男女別の4人コンパートメント。
中国製の車体は少々狭いものの、食堂車、ラウンジ、シャワー室など、必要な設備は一通りそろっている。

一等専用ラウンジの広いソファーに腰掛け、車窓の景色を眺めてすごす。

南国らしい濃い緑が、窓枠いっぱいに広がる。
とうもろこし畑と、一面の向日葵。
列車に向かって手を振る子どもたち。


e0040591_23235240.jpgバオバブの向こうに夕日が沈んだ。
アフリカの夕日は、期待を裏切らず大きい。

翌朝、ダルエスサラームから200kmほど手前で、列車はミクニN.P.に入った。
お目当てのキリンも象も見れなかったけれど、インパラやバッファロー、ハゲワシや猿を見た。

ダルエスサラームはもうすぐそこだ。
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by tomokoy77 | 2006-06-21 15:22 | Tanzania